人生の最大価値とは、人生とは
先日、八王子片倉町にある「松門寺」にて座禅会に行ってきました。
座禅をするのもはじめてですし、お寺に行くのも修学旅行や葬式を除いては、
めったに行かないので、貴重な体験でした。
常日頃、下記しているように、禅には興味あったので、座禅をすることにて、
「何か糸口が分かれば」との思いもありました。
1日2時間座禅をして、そのあと老師から正法眼蔵の講義もあり約3時間半を過ごしました。
座っている間は「なにも考えないこと」を目指すのですが、足は痛くなるし、
「痛い」という思いも「考える」ことですし、「とりあえず我慢しよう」と、
「思う」ことも「考える」ことで、またボーとしていると「あ、今考えてないな」と「考えて」しまうし、仕事のことなどもふと頭に浮かぶことあり、
そのときは、「いかん、無心無心」と思い直すと「また考える」といった具合です。
しかし、総じて心は「穏やか」にはなるような気がします。
毎月の座禅会は今後も続けるつもりです。
「松門寺」の座禅会の紹介はホームページ www.shomonji.or.jpにて見れます。
最近又、山田無文の本を読み返していますが(山田無文は鈴木大拙ほど難解ではありません)、彼の「座禅和讃講話」のなかでいっていることは、
皆様も同意してくださるだろうと思いますので、ここに引用します。
「私どもの社会生活は、それぞれ家庭をもち、子供までこしらえ、事業を営んで、楽しく面白く、ときには悲しい出来事もおりまぜて、とにかく毎日をにぎやかに生活しておりますが、なにか一抹の不安はないでしょうか。
これでよいのかなというようなものたりなさ、さびしさがないでしょうか。
忘れ難い魂の故郷がどこかにあって、一日も早く帰らねばならぬ両親が、
胸を広げてまっておられるような焦燥感がないでしょうか。
もしありましたらそれが、私は宗教心というものだと思います。」
この解釈は胸にズーンと来ませんか。
やはり、人生の最大価値は「安心立命」で24時間、365日を過ごせるかどうかだと思います。
「一抹の不安」を持たずに一生を終えればどんなにか幸せでしょう。
2004年5月14日、2004年6月28日加筆、2004年11月9日加筆