すばらしい人間とは
私は、毎朝近くの川沿いを犬と散歩(犬の散歩ではありません 微妙ですが)しておりますが、時々、川沿いに捨てられたゴミを、黙々と拾っている方にお目にかかります。
誰に褒められるでもなく、社会的義務としてでもなく、ただただ黙々とゴミを拾っておられます。
私は、そのたびに、心の中でそんな方を尊敬しております。
『三井物産を退社した経緯、及び2003年5月30日、6月2日』でも述べましたが、
本当の立派な方とはそんな方でしょう。
いわゆる、世間での偉い方にも何人もお会いしてきましたが、
社長、部長、資産家、仕事のできる方、などには、「さすが」との感情は抱きますが、「尊敬」「感動」はいたしません。
私も、ゴミを拾ってみようとはしますが、時々わずかな1-2個を犬の処理袋と一緒に、辛うじて、月に1,2回拾うことが精一杯です。とても、できません。
私は日々、禅関連の本を読んでいるのですが、上記そのものである。
文章を見つけましたので、引用します。
(出典 正法眼蔵随聞記講話 鎌田茂雄著 講談社学術文庫)
(引用)
禅の修業の一つに、「陰徳」というのがある。陰徳とは隠れた功徳を積むことである。
人に知られず、ひっそりと徳を積むことである。
われわれ凡人であると、何か善いことをすると人に知って欲しいと思う。
さらには、人に知って貰うために、人にわかるように善行為を行うものである。
陰徳というのはそうではない。
誰にも知られず、ただそのやった善行の功徳を転じて、一切のものに向けて回向するのである。
誰に認められるのでもない、誰が誉めてくれるわけでもない。
功徳をするのも自分の人格を高めるためにするのでない。
(引用終わり)
多少、小生も寄付などさせていただいておりますが、心のどこかに、「自分の人格を高めよう」「人に貢献することはいいことだ」などの「意識」がある自分を感じており、上記の「自分の人格を高めるためにするのでない」という箇所には言葉がありません。
2003年6月19日、2004年12月16日加筆