現代文明の問題点について,価値観の不合理性について
人は生きるために最低限度の生産行為、経済行為をしなければなりません。
地球はつい最近まで資源再生産(エントロピーの循環)を可能とし、生態系を維持してこれました。
ところが、現代の急激な経済発展は「生きるための最低限度」をはるかに超えており、事業欲、金銭欲、名誉欲に依存した資本主義の、「歯止めが利かない」発展の先にある「破滅」まで、予見できる状況であります。
現代では、社会主義、共産主義の限界は露呈され、
とりあえず、資本主義が、人間の「欲」をたくみに利用し、
一見合理性を有していると思われておりますが、
その価値観には、究極的には、「むなしさ」「無意味さ」を内包していると思います。
経済発展は善とされていますが、無限の発展の先にあるものは「限界」であり、破滅です。
経済成長は、実は「悪」ではないでしょうか。
人口が増えないのに、消費を増大させても、何の意味があるのでしょうか。
米国、中国、ロシアなどの大国は新聞記事をみるまでもなく、資源覇権を、
「我をむき出しにして」追求しており、2006年12月にては、サハリン2プロジェクトでも、ロシアは「突然」自国資源の覇権を強引に取り戻し、エゴ丸出しです。
中国も、自国の発展のみが関心事で、東シナ海利権、イランの核開発黙認での石油利権確保、
米国はイラクをみるまでもなく武力に訴えてまで、資源を略奪する姿勢を崩しておりません。
無限の欲、資本主義の「成れの果て」はこのようなカオスでしょうが、
欲をベースに人間の生活ルールを設定した現代資本主義はある意味、当然の帰結でしょう。
地球温暖化に見るまでもなく、資源再生産が不可能なまでにエントロピーを増大させ、京都議定書の1990年に比べ8%削減するためには、
2004年では14%も削減しなければならない数字であり、まして、巨大消費国米国、及び、巨大生産国中国の両国が加盟しておらず、
両国の「身勝手さ」も「破壊を助ける」結果となるでしょう。
まさに、「欲」が「破滅」をもたらすことになり、石油枯渇による資源戦争が、
回避されることを願って止みません。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教などの「二元論」的世界観では、
この問題に気づいた時にはすでに遅いでしょう。
宇宙・地球資源と人間を二元対立させて、「征服」しても、それは自己破滅であることは明白です。
「一元論」的仏教がその役割を果たさなければならない時期でしょう。
テーラワーダ仏教は、「宗教」とは言えません。
絶対的神の「命令」など、この世に存在しないと明言して、「自己の気付き」を「真理」と掲げて、ヴィパッサナーを、人間の心の最終解決としています。その概念として「一元論」があります。
一元論とは、「宇宙と自己を一体化し、価値観を宇宙と同化させる」ことです。
紀元前でも、鎌倉時代でも、昔であれば、どんなに消費文明に溺れていても、
まず、「地球の限界」はなかったでしょうが、現代は「地球の限界」を見通せるほど、発展してしまいました。
「欲」の無限の追求は、最終的には「むなしさ」が待っています。
100億財産があっても、10人の妾をもっても、100のゴルフ会員権を得ても、
最高級の外車を10台持っていても、10億の豪邸に住んでいても、結局、
人間の最後の価値観は、「いかに生きたか」「いかに死すべきか」でしょう。
20世紀的価値観(物質至上主義、経済発展至上主義)の修正が急務です。
人間の叡智に期待します。
2004年11月15日、2005年9月6日加筆、加筆2006年12月26日加筆