生きるとは

最近小生が影響を受けている人物は、アルボムッレ・スマナサーラさんです。
テーラワーダの伝道のため日本で活躍されています。著書も数多く出されており、日本の著名人(養老孟司、立松和平、玄侑宗久諸氏など)との対談本も多く出版されています。

過去『人生の最大価値とは 人生とは』でも、「人生」に関して感じたことを書きましたが、禅のアプローチは、それはそれですばらしいとは思いますが、
簡単なことを複雑にしてしまっているような気が、今はしています。

彼は、「生きるとは何ですか」と語りかけています。
我々の価値観、考え方では、生きるとは「生活すること」具体的には、学習したり、結婚したり、就職して金を稼いだり、子供を育てたり、・・すること。と思いますね。
でも、それは実は、「生きること」ではなく、「生きているからやっている事」
「生きるための道具、手段」と言い切っています。
「生きることの本当の意味」を分かっていない。だから「悩む」のである。と教示しています。

そうです。私も分かっていません。
人生の価値(世俗価値)にこだわり、悩んできました。

釈迦が言う「人生は苦(ドッツカ)である」も実はこの問題を言っているのです。

テーラワーダはある種科学的で、簡単なことを簡単に説明してしまっています。
なるほど、とは思えます。
でもその境地には、結局のところ、禅と同じように「達するには大変」ですが・・・
彼は「人生はゲーム」である。粛々と生を受け、粛々と死んでゆく、ただそれだけであるが、その過程が人生で、ゲームを楽しまなければ「もったいない」と言い切ります。

人生を楽しみ切るためには、「心の成長」を目指さなければならない、とも仰います。

これも、小生の考えと全く一致していますが、彼は極めて科学的に説明してくれます。

全ての事象に「気づけ」ばいい。
痛み、悩み、喜び、生きがい、感情の変化、肉体の変化、動作、思考、
全ての五蘊ごうんは、所詮、「自分」でない「心」でない、客観的に「観察」できるものである。
それをひたすら観察しつづけること、それが客観的心の成長である。
観察して観察して、そして、それを徹底的に楽しむこと、全てを受け入れること。
そうすれば、粛々と平穏に生きられる、と説明しています。全くそのとおり!
生きることを楽しもうと思います。

2007年2月13日、加筆2007年2月26日加筆

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