心の開放とジャズ

一部のお読みいただいている方から「たまには軽いものも書いてみたら」、
とのご指摘をいただきましたので、小生の趣味にしている、
ジャズ演奏と心の開放(ほうら!また堅苦しくなった)について書きます。

小生は最近サックスを習い始めました。
中学生時代のブラスバンド以来、全く封印していたサックスですから、35年ぶりとなります。
また何と、自分たちのセッショングループも立ち上げてしまいました。
というのも、サックスの演奏会が年2、3回あるのですが、プロのピアノトリオをバックに、ジャズを奏でる幸せにめぐり合え、「ジャズってなんて面白いのか」と目覚めてしまったからです。

小生の偏った意見ですが、ジャズは聴くものでなく、絶対に演奏するものです。
昔からジャズは、聴くのも好きだったですが、ジャズ評論家とか、ジャズ愛好家とか、特にジャズ喫茶のオヤジなどは、「小難しい理論と知ったかぶり」をかざしながら、ジャズをことさら難しい音楽に仕上げていますが、
ある種、小生は、それに対する嫌悪感すら抱いていました。

で、セッションを実際にやってみると、ジャズって「こんなに楽しいのか!」との発見でした。

ジャズは英語と同じです。
そして、日本人がなぜ英語がしゃべれないかと、ジャズに対する日本人の姿勢は、見事に一致していることに気づきました。

英語が話せるようになるためには、3つ必要です。
1つは、英語のシャワーを浴びること、とにかくいい英語、native speakerの英語を聴きまくる。
2つ目は、それをとにかく喋ってみる。間違ってもいいから喋りまくる。
3つ目は、「度胸」と「素直さ」です。恥じらいを捨てて、聴きまくり、喋りまくる、それが英語の上達のコツです。

日本人は その全てが苦手です。

まず完璧な文法を目指し、一回日本語に置き換えてから英語に頭の中で訳し返し、そしてたどたどしく喋る。
自分が喋れないこと(あたりまえです。初心者ですから!)を、必要以上に恥ずかしがる。
で、ますます喋れなくなるの悪循環です。ジャズを習い始めて、それを思い出しています。

サックスの先生ですら、まずコードを完璧にして、変化をつけて、ドリアンモードに変換して、ブルーノートはどこら辺で入れて・・・など、
まるで、一回日本語に変換し、文法をチェックしている「喋れない高校の英語教師」みたいです。
これで「楽しい」はずありませんよね。自然な演奏ができるはずありませんよね。心から喜びを表現できるはずありませんよね。

セッションのメンバーは皆、何か仕事を抱えています。
つまり、「何かしなければならない」束縛感を共有していますが、
ジャズは、「束縛」を最も嫌う音楽ですので、それに強く惹かれていますし、
上記の「知ったかぶりジャズ評論家」などは、自らジャズを束縛したものにしてしまっています。
これは駄目です。つまらないです。

小生のセッショングループの方向性も、それを反面教師と思い、ジャズもとにかく、喋ることが大事と思って、小生のセッショングループは、その「無謀さ」を売りにしています。
そして、痛めつけられるほど、「間違って」反省して、で、ジャズとは何かを習得しています。

ジャズは、心の自由、心の開放がなければ、全然うまくなりません。またフレーズが出てきません。
そこに仕掛けが感じられれば、その瞬間「真のジャズ」ではありません。

中学生の英語のレヴェルであれば、たとえ、400個の単語しか知らなければ、
400個で演奏すればいいのではないかと思います。
演奏して、聴いて、そして徐々に単語を増やす(自然なフレーズ)、この作業の繰り返しでしょう。

マイルスデーヴィスは、たぶん英語で言えば、5万語のボギャブラリーを持っている英語の達人ですが、
その人が、take,have, putなどのシンプルな英語を喋っているのですけれども、
それが非常に、上手な英語に聞こえるのは、心がコモッタ話し方をしているからでしょう。

2007年5月7日

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