商売の心得再考
下記は、弊社「会社概要」の末尾に記している、商売の心得ですが、
改めて読み直してみると、上島が体験し、下記にて書いてきたことと「全く同じこと」を言っているのには、感慨あります。
小生も少しは(少しはですが)、偉大な先人の教えが分かるようになったのかな?
商法は売りて悦び、買ひて喜ぶようにすべし(二宮尊徳)
これは、当に「お客様が幸せになった結果として商人は幸せになる」との同じ意味、「喜ぶ」という言葉は非常に深いです。
売ることができてありがとう、は簡単ですが、自分が買うことが出来てありがとうとか、お客様に「タックから買うことができてありがとう」と言ってもらえるほど幸せなことはありません。
商売の究極の領域でしょう。
信は商人の常の道(茂庵老人)
これは、信用がいかに大事かですが、信用さえあれば、人は生きていけます。
財産なんかなくったって信用ほど大事なものはありません。
弊社も多くの銀行にお世話になっていますが、
銀行からお金が借りられるのもまさに「信用」以外の何者でも ありません。
本当にありがたいと思っています。
私欲ほど世に害を成す物あらじ(石田梅岩)
人はなかなか「私欲」を捨てられません。
西洋的資本主義は、「私欲」を利用した制度と言ってもよい訳で、それが「世に害を成す物」であれば、資本主義が悪いものとなってしまいます。
資本主義の真髄は、アダムスミスの「国富論」を引用するまでもないですが、
アダムスミスの有名な言葉に、「我々が食事が出来るのは、パン屋も八百屋も博愛心を発揮するからでなく、皆全て、自分の私欲、利益の追求のために行っているからである」とあり、その私欲が、結果として、「見えざる手」の役割をはたし、市場経済が機能しているのです。
ただ、アダムスミスも同時に、「市場モラル」も社会哲学者として警鐘を鳴らしており、その私欲は「なんでもしてよい」わけでは決してない、とも言い添えています。
石田梅岩も全く同じ事を言っています。
彼が言わんとするのも、人を不幸にしてまで「私欲」を追求するな、ということでしょう。
公害を撒き散らすほどの乱開発で富をなしても、それは「我欲」で、世の中に害をもたらします。
醜い拝金主義も、他人からみれば、人の道とは思えません。
お客様、広くは世間の幸福を考えた商売が、本当の商売であると言っているのでしょう。
我が身を忘れて客の心となれ(安田善次郎)
これは、「人の心が分からなければ、商売はできない」
「商売は買いたいというお客様の最終能動行為が完結行為である」との意味です。これも深い言葉です。
魂を入れた値段をつける(松下幸之助)
この言葉を読んだとき、感動しました。「値段」という概念と「魂」という概念が関連する発想は、凡人では出来ません。
松下幸之助ならではでしょう。
お客様が「感動」「納得」など心を動かされなければ、なにもできないことと同じであると言いたいのでしょう。
いい加減な価格設定、単なる儲けのための価格は客にはお見通しである。
心の底から、納得できるような価格を提示せよ、でしょうか。勉強になります。
天は善なる者に幸福を与える(渋沢栄一)
商売での幸せは、お客様から感謝されることです。
「感謝」されることは、悪意ある商売からは絶対になし得ません。
悪は、いつかはその「取り繕い」がバレるものです。
善を心がけ、善で客先に接すれば、きっと理解し「感謝」される、
すなわち自分が幸福になれるということでしょう。
これも「お客様の幸せを追求する」という善が「結果として」自分に幸福が訪れるという意味でしょう。
商人の常に守るべきは、謙の一字(西川如見)
これは、商社マンの勘違いで述べたように、独りよがりは自己満足にすぎず、お客様の幸せを願い、常に謙虚に商売すべしの意味。
ただ、これからもそれを実行するのみです。
2007年8月14日、2007年8月15日、20日加筆