CO2排出権取引

最近、CO2の排出権取引が盛んです。これも大変興味深く見守っています。

CO2の排出は、経済成長の結果、どうしようもない地球破壊の産物ですが、
それを「経済論理」で解決しようとの試みが、いかにも資本主義らしい動きです。

大いなる矛盾を抱えています。

京都議定書に加盟していない国に、「目標削減量」が存在しないわけですから、
「削減」概念自体がおかしな定義です。

ただ、「現状より削減」できれば、それはそれで「少しは」意義あるものですから、やらないよりやったほうがまし、と言ったところでしょうか。

理念として、日本も欧州も京都議定書を批准ひじゅんしたのですから、
それらの諸国は批准ひじゅんしない国々よりはましでしょう。

米国は最大の身勝手な国家とも言えます。
ロシア、中国、インドなどの大国では、「自分たちは先進国的繁栄を享受していないので、それを享受してから考えるべきであり、今は参加しない」との論理です。

それも一理あるかも知れません。

米国・欧州・日本並みになってから削減を考えるのが「平等」であるのでしょう。
でも、もしロシア・中国・インドが、先進国に「なってから」削減をし始めたら、たぶん、「時すでに遅し」であることは明白なので、先進国も反対します。

これも、過去述べてきた「人間の欲」の突っ張りあいです。

で、CO2の排出権取引は、人間の欲を捨て去るのは「不可能」なので、
妥協の産物として考え出されました。

環境保護、省資源に向かうものであれば、どんなにコストがかかろうが、それを商品化してしまえば、結果として、全人類の生存に貢献するであろう、とのセカンドベストでしょう。

所詮、カネは、人間の編み出した産物ですので、どんなにコストが高かろうが、
地球としては全く影響ありません。どんどん進めればいいのです。

石油を削減しなければならない局面であれば、人間の理性が働かなければ、
経済論理で解決するしかありませんが、そのときはたぶん、1バレル$200以上になって、皆が自動車に乗るのをやめるとか、電気を使わない生活に戻るとかしなければならないでしょう。

昭和30年代の日本は、現在の日本の石油消費量の5分の1だったそうです。
そうすれば、1995年の目標値どころか、一挙に問題解決できます。

でも、皆さん、その生活に戻れますか?

2008年1月4日

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