富と富の分配
富とは何か?
これは深く、永遠のテーマである、人間の幸福とも関連していますが、
とりあえず、経済的観点だけ論じれば、世界のGNPの合計でしょうか。
すなわち、全ての人間が生み出す、「付加価値」の総合計と定義できると思います。
世界の人類が、皆平等に、富(付加価値)の分配をうけていれば、日本・米国などは、著しく現状よりも、富を失う結果となるし、アフリカの最貧国などは、
今まで経験したことのない、豊かな生活を得る結果となります。
現実は、富は、著しい不平等の元で分配されております。
分配方法は、現在のところ、資本主義経済論理が主流ですが、
最近では、『日本の将来像は?』で2月25日に書いたとおり、国家資本主義、覇権主義の下に、違った意味での、不公正な分配が横行し始めました。
地域偏在、階級格差偏在、人種間偏在、年代別偏在など、さまざまな歪みが、
富の分配にはありますが、最近の先進国から、資源国への富の著しい分配率の変化は、
換言すれば、「労働・生産への価値配分」から「持てるものへの価値配分」と言えます。
これもある意味、搾取かも知れません。
富は、労働・勤勉への対価として分配されるのが、正当な社会と思いますが、
「持てるもの」は勤勉とは無縁で、「先天的に付与」された立場です。
日本は、かつて、その「先天的に付与」されていない資源確保のために、
地域偏在(日本は不偏在)を解消するために、戦争をしかけました。
結果、より強力な存在(米国)に敗れ去り、また以前の持たざる国に戻りました。
国別の分配のイメージは、
(1)先進国(2)途上国(3)資源国(4)最貧国と分けるとすると、
国民一人当たりのGNPは、ひとつの重要な富の尺度ですが(購買力平価をどうするかは除き)、実感としての、富の分配のイメージは、
かつては、
先進国7割、資源国2割、途上国8%、最貧国2%でしょうか。
最近の資源高で、それが、資源国5割、先進国4割、途上国9%、最貧国1%てな感じです。
ここで重要なのは、「最貧国」は、日本国憲法でいうところの、
「健康で文化的な」最低限度人間として、ふさわしい生活水準といえるだろうか、ということです。
飢餓で、毎年、子供たちが数十万人飢え死にしている現状は、
とても富の分配を受けているとは言いがたい。
つまり、最貧国への1~2%の分配は、「非常にゆゆしき」事態であるといえます。
途上国の8~9%の分配は、かろうじて、「人間として生活できる」水準といえるとすれば、今までの先進国は、約7倍「贅沢」していたことと言えます。資源国は2倍の贅沢だったでしょう。
それが、今は、資源国の「贅沢さ加減」が、7倍から5倍に低下したのです。
でも、人間は、一度贅沢を覚えたら、「低下」することが耐えられないから、
大騒ぎしているというのが、現実でしょう。
換言すれば、人類の平均からすれば、日本の今は「全然OK,すばらしく幸せ」です。
資源国は、世界の富の半分を得ているのですが、それは極論すれば「不労所得」です。
たまたま、地球のある地域を占めている国家の土地に、たまたま石油、鉱物資源があっただけです。
全然威張れません。人間は欲の塊ですから、「まだまだだ」と主張しているのですが、いずれ、富の均衡という真理に直面すべきで、資源の価値は地球の一部ですから、全人類が、平等に分配されるべきものと思います。
富の階級格差偏在に関しても、
これも難しい問題です。なぜならこれは人間の煩悩だからです。
階級欲、名誉欲、地位欲、金銭欲、能力の差、ねたみ、などが絡んでいるからです。
2008年8月1日