悩むということ
人間生きている以上、様々な悩みを抱えながら暮らしています。
そして、「悩むこと」に悩んでいたり、「願望・希望」が現実と違うことに失望したり、悩んでいます。
結果、どうやったら悩みから開放されるか、という「願望」を持ったりします。
私も人間を53年以上やっていると、皆さんと同じように悩み・葛藤を持っていますが、最近思うに、「悩みはつまるところ、人間が生きるという願望がある限り常に付きまとう」と考えるにいたりました。
皆さんが生きているということは、感情や希望・夢、悩み、つまり人間が人間である証拠とともに、生きているということです。
恐らく、悩みや夢を突き詰めていくと、全て一つの文章に帰結するでしょう。
すなわち、「私は、幸せな人生を送りたい。充実感や生きがいを感じながら、一生を終えたい」です。
悩みとは、希望が達成されないことに対する「反対感情」の発露と言えます。
全て自分の思い通りにことが進めば、悩まないということになります。
でも、それは人間である以上、ありえませんので、悩むこととなります。
出世できない、性格悪い、顔が悪い、禿げている、女性にもてない、結婚できない、上司とソリが合わない、仕事が忙しい、客先がそっけない、プロジェクトが上手くいかない、金がない、生活に張りがない、病気がちである、親の愛情が薄い、自分は認められていない、
・・・・数え上げれば キリがありません。
そこで、ふと立ち止まって、自己観察してみてください。
悩みは全て、自分の願望と表裏一体であることに気づいてください。
そこが悩みを解消する出発点の思考回路です。
例えば、「女性にもてない」という悩みであれば、思考回路を変更してみます。
願望の帰結を考えましょう。
「女性にもてる」-「性的満足を得られる」-「生活に活力が出てくる」-「充実感を味わえる」
ということになって人間の最終願望である 「私は幸せな人生を送りたい」の言葉にたどり着きます。
この最終願望が、人間の最大の望みであるが故に、それが解決できない人々の大半が、悩みを抱えることになるわけで、宗教・哲学・思想・人間心理学・文学・歴史・等々の、「人間探求教学」が生まれる素地となっているわけです。
2010年5月19日