中村天風 再考察その3=心

中村天風のすごさは、心、人間の心とは何かの分析・啓示にあります。
彼の講演(彼は著作物としてはあまり残していないのです)の言葉の数々は珠玉です、が・・
言っていることは(私の理解としては)、禅の思想とほとんど同義と思います。
すごいのは、それを、大変わかりやすく説いているところです。

彼の言いたいことは、下記の言葉に集約されます。
「せっかく、人間として生まれてきたからには、思いっきり幸せを味わおう。
確実に、誰もいつかは死ぬわけで、どうせなら死ぬまでの時間を、有意義に過ごそう。そうして、生き抜ければ、それは完全な人生と言える」

では、その完全な人生を歩むためには・・・ 
ということで、彼は心身統一法を、人々に説いて聞かせたのです。

すべては心である。心を理解して、それを鍛えれば、人生を幸福に全うでき、
健康も簡単に得られると、「心の鍛錬の実践法」を示したことにあると言えましょう。
仏教も禅も、「悟れば永遠の幸福を得られる」と言っています。
で・・悟れば本当にそういう境地になるでしょう。
しかし、万人がわかる実践法を、示しているわけではありません。
ただただ「悟れ」というのです。
で・・悟ったかどうかは以心伝心、師から認められ、経典には書いていない(口伝外)なわけです。 

少々脱線しました。心の話に戻ります。
禅(仏教)でも、心の働きを「色受想行識」という表現を使いますが、
天風は、その概念を、肉性心(物質心、植物心、動物心)と、心性心(理性心、霊性心)、という言葉を使って、「ほぼ同じ心の動き」を説明しています。

仏教では、貪瞋痴とんじんちを 心の三悪として戒めますが、
天風も、「感情情念」の中の「消極的動物心」と表現し、
焦熱地獄しょうねつじごく8万6千の煩悩」と猛烈に非難しています。

仏教では、色を受け取り(受)、思う(想)までは、OKであるが、
それを、自分の感情に照らし合わせて、比較検討し(行)、 
心が動揺したり、影響され、心がかき乱される(識=貪瞋痴感情が生じる)ことになる前に、対処しろと言っていますが、天風も言っていることは同じです。

表現はかなり独特です。そのまま引用します。(講演ですから口語体です)
「心というものは、厳粛に言うと、生きるために使うので、使われるためにあるんじゃないんだから、これを忘れちゃだめだよ。心に使われたら、心配も煩悩も、もうとめどなく心の中を暗くするだけだ。同じ物事に接触してる場合でも、その接触してるものと心との関係が、その心が、その接触しているものを対象としていない、自分自身の生命を使いだしたら、もうおしまいだから。・・・ いままでなかったようなノイローゼだとか、神経衰弱だなんて、
愚にもつかない病が、煩悶や悩みや悲観や苦労や、あるいは怒りや恐れという、
さっきいった消極的感情どもを、あれこれと、心に感じて生きている人がいかに多いか、見てみりゃすぐわかる。これすなわち、心に使われているから。」

どうですか?理解していただけましたか?
つまりは仏教では、行と識は、貪瞋痴に行く方向で心を使うと、
とんでもないことになると教えますが、天風は、消極的感情に心を支配されるな!!という表現で、仏教と同義の意味を諭しています。

さて、長くなりました。この続きは後日「加筆」します。

天風は、こんな文章も、円相として残してます。
「ひとのよろこびを、わがよろこびとなすこころこそ、まことのひとのこころである」(全部ひらがな)
まさに禅ですよね。

2016年5月30日

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