究極の選択
経済成長の本質を書いて9ヶ月、日本人が戦後初めて、日本国の存亡の危機に直面する、未曾有の大災害に遭いました。
東京に住む我々は、停電、ガソリン不足、食料の欠如への不安と共に、
今3月18日を暮らしております。
経済成長の本質とは『経済成長の本質』で申し上げましたとおり、
「1日24時間を、より速く、より遠くへ、より多様に、より無駄に、過ごすこと」が、経済が成長する秘訣です。
今、3月18日の東京はどうでしょうか?
より速くは、新幹線も在来快速も停止、高速道路も閉鎖。
より遠くへは、ガソリン不足で制限。
より多様には、野球・サッカーあらゆるスポーツ観戦、音楽ライブの中止、
動物園・植物園の閉館等々、大きな制限。
より無駄にも、飲食店・パチンコ・マージャン等々も停電により制限。
つまり、経済成長に必要なポイントは、ことごとく、何もできない状態になっております。
人間究極に追い込まれると、やはり一番重要なものを残して、「無駄」を排除することになります。
食べること(配給してでも生命を維持する)
寝ること(家が流されて、雨露しのぐことすらできないのも生命の危機)
着ること(着の身着のままで避難した人達が望むものは、着替え・クリーニングである)
それと最低限の移動手段、及び体温維持のための暖房用の石油・ガソリンである。
つまり、明治維新以前に必死に追求していた、
「安心して生きることのできる、最低限の生活維持・衣食住の保証」に逆戻りしています。
停電の間、日本人いや現代人全員の、今までのサガ、行為、思想への反省を、
改めて、感じざるを得ない時間を、過ごしております。
福島第一原発の放射能汚染は、何とかして、人類の英知で抑えることが可能と信じておりますが、
問題は、その後の日本人の、究極の選択でしょう。
すなわち、この期に及んでも、尚、経済成長、言い換えれば繁栄至上主義、
「1日24時間を、より速く、より遠くへ、より多様に、より無駄に、過ごすこと」を際限なく追求しつづけ、原子力だろうが、石油だろうが、資源は使えるものは出来るだけ使って、
繁栄――破滅の道を歩み続け、リスクを持ち続ける選択をするか、
(それを選択すれば、さらに無駄な消費をしつづけられるし、しつづけなければならない)
あるいは、原子力の放射能汚染防止のほうが、繁栄・享楽を捨ててでも、価値が高いので、現状の電力で満足し、原発は永遠に作らない。
これ以上の資源消費は、資源が枯渇するので、不可能で行わない。
従い、色々な無駄な、しかし享楽を味わえる物は諦める。
その見返りとして、世界平和、環境保護を最大価値とする。
この2つの、どちらかを選択しなければならない時期に、人類は来ているわけであろう。
両立はもう不可能である。
あなたは、更なる繁栄を選び、人類の破滅のリスクも同時に背負いますか?
それとも、世界平和、環境保護、放射能リスクからの開放を選びますか?
ただし、それは、大いなる我慢を伴います。
今の停電のように・・・
2011年3月18日