仕事とは何か・自分のやりたいことと、世間が求めていること

世の中には様々な仕事があります。

仕事とは、世間に対する奉仕・貢献ですが(一言で言えば)、
そのものの存在価値は、「世間がその仕事をどれだけ求めているか」の尺度によって、価値や需要が決まってくるわけです。

他方、人間は個人としては、仕事の定義は、「生活の手段」「生きがい」「喜び・充実感」という個人の自己実現であります。

それが完全に合致しているときは、人間は生活上、「最高の幸福」を感じますが、多くはその不一致に悩んでいます。

例をあげます。 

私はジャズを趣味としてますが(ですから仕事ではありません)、音楽にのめり込んで、「プロミュージシャン」を目指している若者(中年も含め)は、星の数ほどいます。

プロを目指しているわけですから、技術的には、すばらしい演奏をできる人たちも大勢いますが、残念なことに、「食えている」ひとは5%にも満たないのが現状です。

またプロでさえも、純粋に演奏そのもので「食えている」ひとは、さらに少なく、多くは、素人のレッスン相手で生計を立てて、食いつないでいるのが現実です。

世間は音楽を求めていますが、大衆の多くを感動させる、
(つまり「売れる」)芸術性豊かな音楽家の需要は、
その供給量に比べてはるかに少なく、需要と供給の、著しい不一致があるわけです。

誰でも、自分の能力・興味が仕事に直結することを願っていますが、世間は求めていないわけです。

野球選手の数は、プロ野球の観客収容能力・エンターテインメントとしての、
集客能力によって決まります。従い、せいぜい数百人がその需要です。

プロゴルファーは、「それを見たいというギャラリー・宣伝効果」によって必要人数が決まります。

石川遼は、たった一人のスターの出現によって、その「必要人数」を引き上げました。
ですから彼は、数億円の価値があるわけです。

ジャズプレーヤーは、東京・大阪・名古屋の、
一部の音楽ファンを魅了する程度の需要(それとCD購入者)ですから、せいぜい100人もいれば十分なわけです。

ですが、プロのジャズミュージシャンになることを熱望する若者は、数万人いるでしょう。

言い方を変えれば、ジャズを上手に演奏したいニーズとしての需要、すなわち、数万人のプロ志向のアマチュアや、数十万人の「演奏を楽しみたい」アマチュアを教える、プロの需要は、多く存在しているので、所謂(いわゆる)レッスンプロとして、
音楽教室で教えるプロは、数千人の需要はあるわけです。

結局、これも、大衆の欲で説明できます。

演奏を聴きたい「欲」を満たすプロのジャズミュージシャンは100人、
演奏を楽しみたい「欲」を満たす教えるプロのジャズミュージシャンは数千人、
という、仕事の需要に分かれるわけです。

多くのミュージシャンは、「自分の演奏を聴いてもらいたい」という、
夢が破れて(需要がないので)、レッスンプロや他の道に進むわけです。

斯様(かよう)に「世間」とは、大衆の欲求の塊です。

大衆が熱望する領域の芸術性はやはり、「天賦の才能」のみが、
真の意味での「仕事人」として残るのでしょう。

翻って、産業界でも同じかも知れません。

大衆が必要としている、製品・ソフト・サービスを機敏に感じて、
提供する能力が、ビジネスマンに求められる最大の資質といえるでしょう。

自分のやりたいことは、趣味として楽しむのが一番気楽でしょうか・・・

2009年11月9日

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