なぜ心が安定しないのか

人間は、『物欲と心、中庸、知足』でも述べましたが、欲から逃れることはできません。
悲しいサガです。
また、不安からも逃れられません。

小生の必携書「仏教は心の科学」(スマナサーラ著)でも繰り返し述べられていますが、まず、欲と不安を「そのまま」認めて、
生は苦であることを受け入れることから作業が始まるのでしょう。
心を科学し、トレーニングする以外に方法はありませんでしょう。

初期仏教と禅はその点は完全に一致しています。
なぜ不安になるかは、心が「今ここ」に安住できず、過去と未来を行ったり来たりして、体と分離していることが 最大の原因と喝破します。
多くの言葉がそれを警告していますが、大多数の人間は(小生も含め)実感できずにいます。
心身一如、今ここの自分、本当の自己を得よと言うし、
「心ここにあらず」として、心と体の分離を戒めています。

人間は何か好きなものに熱中するときとか、「今ここ」の体に集中していないとき、自分が危険になるときとかは「悩みようがない」状態になります。

小生の場合、例えばスキューバダイビングをしているときがその典型です。
水中では「今ここの」呼吸を疎かにできないし、一生懸命呼吸に集中し、
仕事のことなどを考える余裕など全くありません。
さらに、海中の魚や亀を見ているときは、「今ここ」の楽しさを実感して、
30~40分、邪念など全く入り込みません。
で、その後陸に上がっても最高の爽快感が全身を満たしています。

まさにそのときは 禅の修行僧が座禅で「自らを遊ぶ」心境と同じでしょう。

ですから、もし日常生活24時間が、全て「今ここ」に心を置くことができたら、
悩みなど全く入り込まないでしょう。
それが座禅であり、ヴィパサナーであり、心が育ったということでしょう。

2007年4月13日

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